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「ニート罰金法」に元ニートが思うこと―“働かない”という選択肢について―

雑感

先日ベラルーシで、半年間職に就かず、納税していない国民に対して罰金を科すという法案が成立しましたね。ネットなどでも話題になったニュースです。以下に詳細を示します。

 

半年間職に就かず納税していない国民に罰金を科す新法案が、旧ソ連のベラルーシでこのほど成立したが、国際的に大批判を浴びている。

いわゆる「ニート罰金法」で「健康な国民の就労を促し、国家支出の財源作りへの参加を義務付ける憲法の尊重を強調する」のが狙い。罰金は約3万円、支払わなければ拘束され、地域のボランティアをさせられる。未成年や障害者、学生、55歳以上の女性、60歳以上の男性は除かれる。

出典:ベラルーシの「ニート罰金法」が国際社会から大批判浴びる理由

 

“国際的な批判を浴びている”とのことですが、主な批判は人道的、あるいは倫理的な部分に関する批判のようですね。また、この法案が可決したところでニートの抑止になるかという効果性の問題もあるでしょう。

 

ただ、個人的に本題としたい部分はそこではなく、ニートの存在は罰金を科されるほど社会、あるいはそこに住む個人に益の無いことかという点です。私は今回、「(一時的に)働かない」という選択肢の重要性についてお話したいと思います。

 

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働かずに今後の在り方を考える時間

私は、全く就活をせずにそのまま大学院を修了し、7,8ヶ月ほどをニートとして暮らしておりました。その後、日雇いバイトや単発の派遣を繰り返し、現在では個人事業主として開業するにいたりました。

 

ニートという道を“選んだ”のは、大学院時代、研究やその他の活動が忙しく、自分の生き方を考える時間がなかったためです。

 

「いくら忙しいとは言っても就活ぐらいはできるだろう?」と言われるかもしれません。私自身、おそらく適当に就活をすればどこかに受かるだろうというぐらいの自信はありました。ですが、それは止めました。

 

現在、大卒の3年以内離職率は3割を超えています。3人に1人は職についてもやめてしまうのです。「ならば、1年ぐらいじっくり自分の道について考えて、自分の生き方を選んでも遅くないのではないか」と考え、1年の時間は自由に生きることを決めたのです。

 

ニートと単発アルバイトを経てどう変わったか

私は、当時のニートになるという選択は間違っていなかったのだと思っています。大学院生の時、私はキャリアについて何も知りませんでしたし、深く考えもしませんでした。なんとなく収入の高い職についたり、安定性のある公務員になることが幸せなのだと考えていました。

 

ですが、ニートとしての時間を過ごして色々な人との時間を共有したことで、「ああ、幸せに生きる程度ならそんな高給なんていらないのだ」と感じるようになったのです。

 

そこら辺のおじさんが、週に1回小料理屋で見知らぬ他人と適当に会話をしながらお酒を飲んだり、おばさんが週に何度か近所のカフェでコーヒーを飲みながら雑誌を読んだり、そうした姿だけでも十分に幸せではないかと思うようになったのです。

 

ちなみに、ニート期間は大学院時代のわずかばかりの貯金と、友人たちの好意で支えてもらいました。ご飯を食べさせてもらったり、飲食を経営している友人からタダでドリンクをもらったりと、本当に人の優しさに支えられた期間だったと思います。彼らには感謝してもしきれません。

 

そうした期間を7,8か月ぐらい経たころ、私は自発的に日雇いのバイトや単発派遣に通うようになりました。ニートを経たおかげで勤労の意欲が湧いてきたのです。これは大学院時代には無かったことです。

 

初めて行ったバイト先は什器の搬入出のバイトでした。ドラッグストアの内装入れ替えです。きつかったですが、「私は働いたのだ!」という快感を覚えました。きっと、お金のためだけ、あるいは生きるためだけに働いていたら、その快感は湧かなかったでしょう。

 

それからは、とにかくがむしゃらに色んな日雇いバイトをやってきました。その中で感じたことは、「偏見を持っていた仕事たちが意外と選択肢としては悪くない」ということでした。

 

たとえば、ゴミ収集のバイトなどは、老人や女性がやっていることを知りませんでしたし、何より労働としてはかなり条件が良いことを知りました。正社員の仕事があれば、応募する可能性も考えていたかもしれません(私の近所では、運転手まで含めてほとんどがバイトで正社員は1割未満の構成です)。

 

ニートがゴミ収集補助のバイトに参加してきた話

 

最終的には個人事業主という選択をしましたが、大学院からそのまま就職していたとしたら考えもしなかったルートでしょう。ニート⇒日雇いという経歴があったからこそです。

 

立ち止まることで進む力を蓄える

もちろん、ニートが一生働かなくても良いというわけではありません。また、私のように“選んで”ニートになった人以外は、事情も大きく異なるでしょう(クビになった、病気を患ったなど)。

 

ですが、無理に就職を迫った結果、職場に合わずに離職してしまう者を増やしてしまうよりも、一時的にニートを選ぶという選択も残すことで社会的な損失も少なくなるかもしれません(直接比較してみなければ分かりませんが)。私は、働かずに自分の人生や生き方についてボーっと考えられる時間があってこそ、乗り越えられる問題も少なくないのではないかと思います。

 

そして、一応念のために言っておくと、私はニートを推奨しているわけではありません。あくまで選択肢の1つとして存在する価値はあるのではないかという話をしているのです。

 

日本で同法案が成立することは無いとは思いますが、個人レベルでは「とにかくニートにはがむしゃらに働かせろ」と言う人が少なくありません。たとえ全てのニートを働かせるだけの潤沢な仕事があったとして、考えもせずにとにかく与えられた仕事をこなすことが本当に“正解”なのでしょうか?

 

世の中には、とにかく人より多くの作業をこなして収益を得ようという方がいます。でも、考える時間があれば、その作業を省いてもっと効率的に作業をできるようになる場合もあるのです。改めて「一度立ち止まってじっくり考える」という選択肢として、ニートという存在の意義について考えてみても良いのではないかと思います。